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東京高等裁判所 昭和61年(う)1494号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人小柳晃、同鈴木則佐連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官遠藤寛名義の答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一及び第二点(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、1被告人は、本件対象年度の昭和五三年分及び昭和五四年分の所得税確定申告に全く関与しておらず、右対象年度の所得税を免れることについての故意も、妻A子(以下A子という)と共謀したこともない。昭和五四年分については、昭和五五年三月A子が越谷税務署に所得税確定申告の相談に行った際、担当の税務署員が被告人の所得金額を間違って算出し、A子に対しその金額で所得税確定申告をするよう指導したため、これに従って申告が過少のものとなってしまったに過ぎず、被告人及びA子が故意に所得を隠蔽したわけではない。従って、被告人は本件対象年度の脱税事犯につきいずれも無罪である。2仮に、右の点が認められないとしても、昭和五三年分の過少計上したとされる収入額のうち、入院料収入約九〇〇万円については、領収証控えに記載された金額をレジテープに転記する際に、転記漏れをしたため生じたものに過ぎず、被告人及びA子が故意にこの分の収入を隠して申告したわけではない。しかるに、原判決は、任意性及び特信性を欠く被告人及びA子の検察官に対する各供述調書、大蔵事務官に対する各質問てん末書等によって、被告人が昭和五三年分の入院費収入の除外分を含め本件各公訴事実につき故意を有し、かつ、A子と共謀して本件脱税をしたものとして、被告人に対し有罪を認定したのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認であるというのである。

そこで、記録及び証拠物を検討して調査すると、被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書(A子の大蔵事務官に対する質問てん末書は、弾劾証拠として採用取調べられたにとどまり、原判決はこれを犯罪事実認定の証拠とはしていない。)並びに被告人及びA子の検察官に対する各供述調書がいずれも任意性及び特信性を欠くものでないことについては、原判決の「弁護人の主張等に対する判断」の第二において、また被告人が昭和五三年分の入院費についての収入除外による所得隠蔽分を含め本件各公訴事実につき故意を有し、かつ、A子と共謀して本件脱税をした事実を認めることができることについては、原判決の右判断の第一において、それぞれ詳細に説示しているところ、右各判断は当裁判所も十分にこれを肯認することができるのであって、所論の事実誤認の主張は、いずれも認められない。所論にかんがみ、以下若干補説する。

1  関係各証拠によれば、被告人は、昭和四七年五月産婦人科医院を開業し、窓口事務、経理事務を妻A子に担当させて来たが、開業後間もなく、いわゆる裏金を作る必要があると考えるようになり、開業して約一年経過したころ、A子に対し人工妊娠中絶手術収入などの一部を除外して仮名・借名預金の形で蓄えるなどして裏金を作るよう指示し、じ来A子はその指示に従って裏金を作り、これを被告人夫婦の寝室に備え付けた金庫内に保管しておき、銀行員が預金の勧誘や集金などに来た際に、裏金として蓄えておいた金員から仮名等で預金すべき金額を被告人がA子に指示し、あるいはA子において仮名等の預金をした後被告人に事後報告し、被告人はそれを了承していたこと、被告人及びA子は本件対象年度の所得税確定申告に当たり、右裏金に回した分を除外して申告するものであること及びその申告内容を了知した上で申告書を所轄税務署に提出していたことの諸事実が認められ、被告人に本件対象年度の各公訴事実につき故意があったこと、及びA子との間に共謀があったことが明らかである。被告人は、昭和五三年分の所得税確定申告についてB税理士に依頼して青色申告をしたのであるが、被告人及びA子は裏金として除外した収入があることは伏せたまま、税務申告のための資料としても裏金に回した関係分の資料は除外して同税理士に提供したに過ぎないから、これに基づく虚偽過少申告については被告人及びA子において責任を負うべきことは当然である。そしてまた、被告人は、昭和五四年四月に経理指導の依頼先を右税理士からC公認会計士に替えたものの、同人に対しても裏金として除外した収入があることを伏せ、その関係資料分は提供しないでいたこと、昭和五五年三月上旬ころ、同人から昭和五四年分の収入は二億円を少し越え、所得が一億円を少し越える額になる旨を聞かされて、窓口収入の一部を除外して作った裏金を除いても所得が一億余にものぼることが判った上、その計算は裏金分を除いたものとしてはほぼ正しい額であるとは思いながら、これでも高過ぎると考え、同人に昭和五四年度の所得税確定申告手続を依頼するのを取り止めて自ら白色申告をすることに決め、A子に対し越谷税務署へ行って確定申告についての相談をしてくるよう指示したこと、A子は被告人の収入金額を記載したメモと保険診療に関する振込通知書などの資料を持参して右税務署へ行き、納税相談担当の上席国税調査官斉藤満に面接し、右メモに基づき銀行振込みで受領した診療収入と、窓口で受領した診療収入につき説明した上、所要の所得税の計算をしてもらい、所得税確定申告書用紙に所要の金額を書き込んでもらったが、A子が右メモに書き込んで行って税務署員に説明した窓口収入分の診療収入金額は、仮名等の預金に回すなどの方法で隠蔽した裏金分を除外するようにして、いわば丼勘定で実際より低額の金額を適当に決めたものであったこと、被告人はA子が持ち帰った右所得税確定申告書用紙記載の所得金額を見て、自分が予想していた額よりも低額であったことに満足してそのままの金額で申告するようA子に指示し、A子には翌日右記載のとおりの数字で昭和五四年分の被告人の所得税確定申告をしたことが認められ、そもそも被告人及びA子は昭和五四年分の正しい所得税を算出してもらう意図で税務署に赴いたものではなく、虚偽過少の窓口収入を前提に税務相談を持ち掛けたに過ぎないから、A子からの税務相談を受けた税務署員がいかに正確に所得税の算出をしたところで正しい所得税額が算出されるわけはなく、昭和五四年分の虚偽過少申告についても被告人及びA子においてその責任を負うべきことは明らかである。

所論は、斉藤調査官が被告人の所得金額を間違って算出したことが過少申告の原因であるとも主張する。しかしながら、右メモ、ことにその記載の体裁・順序、並びに、A子及び斉藤満の原審公判廷における各供述を総合すれば、A子が右メモの上段に記載した数字は銀行振込みにより受領した診療収入額であり、また、中段に記載した数字は窓口で受領した診療収入額であって、前者が合計約九七〇〇万円、後者が合計約八九〇〇万円、総合計収入金額が約一億八六〇〇万円であるとするもので、A子は同調査官に対しその趣旨の説明をして所得及び所得税の算出方を相談したものであること、租税特別措置法二六条の社会保険診療報酬の所得計算の特例規定の関係上、医師の収入明細書には、保険診療分と自由診療分に分けて収入を記入し計算して、所得を算出する必要があるところから、同調査官は、A子から提出された右メモの記載数字につき逐一それがいかなる数字かを聞きただしながら、A子の面前で各数字の横に収入区分をメモ書きして保険診療分と自由診療分とを明確にし、かつ、A子が持参した保険診療に関する支払基金からの振込通知書等の資料に基づき保険診療収入のうちの窓口で受領した金額を算出したところ、その金額が三三四三万二六八四円にもなるので、窓口収入の合計額はA子の説明する金額より多いのではないかと指摘したが、A子は保険診療収入及び自由診療収入を合計した窓口収入の総額が約八九〇〇万円であると重ねて説明したため、同調査官は窓口収入総額をA子の言い分通りとし、結局被告人の総収入金額を一億八七〇八万一一八三円とし、これに基づき所得計算をして所定の所得税確定申告用紙に所要の金額を書き込んでやり、被告人及びA子も右の金額を基礎として確定申告をしているのであって、税務相談においては相談をもちかけて来た人の述べるところを基礎に相談に乗り、所得税を計算してやるに過ぎないし、A子の説明を前提とする限り斉藤調査官の所得計算に誤りがあるとは認められない。

2  関係各証拠によれば、被告人の病院においては、入院費の支払を受けるに際して領収書及びその控えを作成し、支払者に領収書を交付し、その控えを手許にとどめて、そこに記載された金額をレジテープに転記する方法で入金処理していたところ、レジテープには保険診療収入と自由診療収入とを区別して打ち込むことになっていたが、入院費には自由診療部分と保険診療部分とがあり、支払を受ける際にその内訳が直ちには判明しないものがあり、そのようなときにはレジテープに打ち込まないでおき、事後に看護婦に確認したり、レセプトを受け取って保険請求手続をする際にその内訳を計算するなどして内訳の確認をした後にボールペンでレジテープに記入するようにしていたが、これを記入せずそのままにしてしまった場合があり、日曜日に受領した入院費用をレジテープに打ち込まないで済ます場合もあり、これら窓口事務を担当していたA子は、これらレジテープに打ち込まれないままの窓口収入が伝票及び金銭出納帳にも記載されず裏金の一部となっていることは知っていたこと、右入院費の計上漏れは昭和五三年度において約九〇〇万円もあり、レジテープに打ち込まずにすませたことが少なからずあったこと、昭和五三年一二月ころに、事務員のDからA子に対し、「レセプトが来なくても概算で保険診療分を出し、その残りを自由診療分として記載してはどうか」との提案があり、A子もこれに賛成し、同月分以降のものについては、領収書の控えを点検し、保険診療部分と自由診療部分の区別をしていないものを拾い出して金額を概算し、レジテープに書き込むようにしたが、一一月より前のものについては、領収書の控えとレジテープの記載を対照すれば計上漏れの入院費を確認した上公表計上することができたけれども、そのような作業はしないことにしたことから、A子は昭和五三年一一月までの入院費の中にはレジテープに打ち込まないで裏金に回ったままのものが相当数あり、その合計金額も多額に達することを知っていたこと、昭和五三年一二月ころ、A子が金銭出納帳の残高と夫婦の寝室の金庫に保管してあった現金とを照合したところ、妊娠中絶手術収入、乳児検診収入、ピル・リングなどの販売収入等既に収入から除外した裏金として仮名等の預金にしたものを除いても、なお数百万円もの裏金が現金で残っており、これが入院費を含む窓口収入から除外した裏金に回したものの集積したものであることを知っていたこと、昭和五三年分の所得税確定申告をするに当たり、A子は、入院費には、レジシートに打ち込まずその結果金銭出納帳にも記帳せず収入から除外されて裏金に回ったものが相当額あることを了知しながら、これをB税理士には明かさずに被告人の昭和五三年分の収支計算及び納税申告手続を行うよう依頼したことなどが認められ、これらを総合すると、A子において、入院費についても収入除外による所得隠蔽の故意があったことは明らかである。また、裏金を作るべく本件脱税をA子と共謀した被告人が明確に指示したのは、人工妊娠中絶収入を全部収入から除外し裏金にするようにということであったが、前記昭和五三年一二月にA子が金銭出納帳の残高と金庫に保管してあった現金とを照合した際、被告人も居合わせて、妊娠中絶収入を既に収入から除外し裏金として仮名等の預金にしてあるのに、なお数百万円もの裏金が現金で残っていることを目にしながら、その金を表に回すようにとの指示をしようとはしなかったことからして、被告人はA子が被告人の裏金作りの指示に従い、その意向にそうべく裏金作りに励み、人工妊娠中絶収入以外の収入の一部をも裏金に回していることを了知し、これに承諾を与えていたものというべく、被告人が入院費収入の一部除外について少なくとも概括的に故意を有していたものと認められるとした原判決の認定に誤りは認められない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三点(法令解釈適用の誤り、事実誤認の主張)について

所論は、所得税法一二八条は、確定申告書を提出した居住者は、「当該申告書に記載した第百二十条一項第三号に掲げる金額(同項第五号に規定する源泉徴収税額があり、かつ、同項第七号に規定する予納税額がない場合には、同項第五号に掲げる金額とし、同項第七号に規定する予納税額がある場合には、同号に掲げる金額とする。以下この款において同じ。)があるときは、第三期において、当該金額に相当する所得税を国に納付しなければならない。」と規定するところ、所得税逋脱罪を規定する同法二三八条一項前段においては、「第百二十条第一項三号……に規定する所得税の額につき所得税を免れ」と規定し、右に引用した同法一二八条中のかっこ書きに相当する文書が入っていない。しかし、最高裁判所第一小法廷昭和三八年一二月一二日判決・刑集一七巻一二号二四六〇頁は、現行の所得税法二三八条一項前段と文言をほぼ同じくする昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法六九条一項前段のいわゆる所得税逋脱罪について、「所得税の納税義務ある者が詐偽その他の不正な行為をもって、納税義務の履行を怠り(いわゆる逋脱行為)、その結果、税金を免れることにより成立する犯罪である故、その犯罪事実を認定するにあたっては、逋脱の犯意や逋脱行為にとどまらず、その行為により履行を免れた所得税額をも認定することを要すると解すべきである」と説示しており、これによれば、現行の所得税法二三八条一項前段(昭和四〇年法律第三三号及び昭和五六年法律第五四号による改正後の規定を指す。以下、単に所得税法というとき同じ。)にいう「免れ」た「所得税」というのは、同法一二八条の規定により国に納付しなければならない所得税の額から被告人の提出した確定申告書に記載されている納付すべき所得税の額を控除した残額を指すものと解するのが相当である。最高裁判所第三小法廷昭和三九年六月三〇日判決・税務訴訟資料四二号〔租税関係刑事判決集一七号〕四八六頁以下も「源泉徴収により納付した税額を逋脱額の算定に際し差し引かなかった」点を「違法」である、としているのである。そうであるとすれば、被告人の逋脱額を算定するに際して、同人が確定申告書を提出するまでに納付した予定納税額がある場合においてはこれを控除するのが当然であって、その点について源泉徴収額と納付済みの予定納税額の間に差異を認める根拠は見い出し難い。被告人は、本件において、予定納税として、昭和五三年分九万五二〇〇円、昭和五四年分一二五七万九二〇〇円をそれぞれ事前に納付しているのに、原判決は、被告人の逋脱額を確定する目的で正規の所得税額を算定する際に、「源泉徴収税額」を控除しながら、その一方で「予定納税額」については一顧だにしておらず、その結果、原判決は被告人の逋脱額を誤って右予定納税額分だけ多額に算定したものであり、右は原判決が所得税法二三八条一項にいう「所得税を免れ」の解釈を誤ったか、又は被告人の納付した予定納税額があることを看過して事実を誤認したからであって、そのいずれであっても、原判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで、検討すると、所得税逋脱罪の犯罪事実を認定するに当たっては、逋脱した税額すなわち逋脱額を認定判示することを要するところ、所得税法二三八条一項前段は、「偽りその他不正の行為により第百二十条第一項第三号(確定所得申告に係る所得税額)……に規定する所得税の額につき所得税を免れた者」を逋脱犯として処罰する旨を規定し、同法一二〇条第一項第三号は、「第一号に掲げる課税総所得金額……につき第三章(税額の計算)の規定を適用して計算した所得税の額」と規定し、同項五号、七号の各規定との関係上、同項三号の金額は源泉徴収税額及び予納税額(本件で問題となっている「予定納税額」が「予納税額」に含まれるものであることについては同法一二〇条二項一号参照)を控除する前の額を指すことが明らかであり、また、同法二三八条一項前段は同法一二八条のかっこ書きに相当する文言を入れていないことからして、文理解釈上、脱税額の客観的範囲は、所得金額から所得控除額を差引いた課税総所得金額(課税標準)に税率を掛けた金額から税額控除をした所得税の額(確定申告書の「差引所得税額」欄記載の金額)であって、源泉徴収税額及び予納税額を控除しないものをいい、従って、同法二三八条一項前段の「免れた所得税」とは、右のようにして計算した正規の税額から申告税額を差し引いた額をいうものと解される。ただしかし、逋脱罪の本質は、不正な行為をもって国の租税収入を減少させ国庫の利益を侵害する点にあり、国の租税収入の減少を来たさない以上は、逋脱罪で処罰する合理的理由はないから、この観点から、脱税額の客観的範囲に関し源泉徴収税額及び予納税額を控除すべきか否かをさらに検討する必要がある。ところで、所得税法は、一暦年を課税期間とするので、その納税義務は一暦年の終了する時に成立し、確定申告によって確定することを建前としているが、国庫収入の平準化や分割納付による納税者の便宜などの見地から、所得の発生する期間中に、予定納税の方法(同法一〇四条)を先行させ、あわせて源泉徴収の方法(同法六条及び第四編、国税通則法一五条)を採用して、その年分の所得税が確定する前にいわば概算で分割納税させ、その年分の所得税額が確定したときに、確定申告によって調整清算することにしている。そして、予定納税は、一暦年の経過中、すなわちその年の所得実積が確定しない七月と一一月の時点において、それぞれ前年分の所得実績を基準にした額の三分の一に相当する金額を予納させ、暦年終了後の確定申告による調整段階で年税額として清算し、納税義務者は不足する所得税額を納付すればよく(所得税法一二八条)、超過分は還付されることになっており(同法一三九条)、当該年度の所得税の納税義務の履行という点からいえば、予定納税は確定申告によって納付すべき年税額があることが確定することを停止条件とし、かつ、確定申告した年税額を上限として納税義務を履行するものということができる。これに対し、源泉徴収は、所得の収得と同時に納税するという即時納税制度の趣旨に基づき、特定の所得が納税義務者に支払われる際に、その支払者が、その支払いの時において、法定の税額を徴収して国庫に納付する義務を負うものであり、所得の支払を受ける納税義務者は、源泉徴収を受忍する義務を負うが、この受忍義務は支払を受ける者が所得税法上納税義務を負っていることに基因するものと解されるのであって、担税者である納税義務者からすれば、源泉徴収義務者を通じて国に対し納税しているのと同じことに帰する。そして、源泉徴収には、分離課税として所得の支払いがあったつど終結するものと、一暦年の実績のものに引き直すための年末調整・確定申告を予定するものがあり、所得税法は一暦年の申告納税制度を骨子としつつ、源泉徴収制度をもとり入れている関係上、源泉徴収の所得税については、所得の支払を受ける納税義務者にとっては、終局的な年税額の一部分としての先行的な納税義務が部分的な所得の支払いを受けるつど成立し、累積して行き、終局的・全体的納税義務の実体を形成して行くことになると解され、これら先行的・部分的な納税義務の成立は所得の支払いの時であり、それはまた納税の履行の時期であるといい得るから、当該年度の所得税の納税義務の履行という点からいえば、源泉徴取された時点で、その所得部分につき納税義務を履行したものと同視することができるのであって、暦年終了後の確定申告による清算段階で、源泉徴収税額の累計額が年税額に不足するときは、納税義務者は不足額を税金として納付すればよく(同法一二八条)、超過分は還付されることになっており(同法一三八条)、源泉徴収は、いわば確定申告によって納付すべき年税額が源泉徴収税額を下回ることが確定することを解除条件として、源泉徴収税額のうち年税額を上回る金額について納税義務を免れるものであるということができる。かようにして、予定納税・源泉徴収の段階ではそれぞれの条件が成就していないことから、前者ではいまだ納税義務の一部履行があったとまではいえず、後者では納税義務の一部履行があったといえる差はあるにしても、確定申告による調整清算段階に至れば、予定納税額・源泉徴収税額のいずれについても年税額に繰り入れ清算されて、不足額分を納付すれば足るとされ、超過分は還付されることになっていて、年税額に繰り入れ清算された分は租税として国庫に収納され、国の租税収入の減少を来たさないのであるから、この部分については逋脱犯の客観的範囲から控除するのが相当であり、両者を別異に取扱うべき合理的理由は見出し得ない。

そして、所得税法二三八条一項前段の脱税額は、正規の税額から申告税額を差し引いた差額として算出されるものであるところ、右正規の税額・申告税額のいずれの算定においても、同法第三章(税額の計算)を適用して計算した所得税の額から年税額に繰り入れ清算されて納税済みのものとして取扱われる源泉徴収税額及び予定納税額を控除して算出する必要があるのであって、所論のように、正規の税額の算定においては予定納税額を控除しながら、申告税額の算定においてはこれを控除しないでおいて、正規の税額から申告税額を差し引き計算をして脱税額を算出するのは、同じ項目・計算のもとに比較対照するものでない点で不合理であり、予定納税額を二重に控除するに等しい結果を招来し到底採用できない。また、正規の税額・申告税額のいずれの算定においても予定納税額を控除する前の金額をもって当該各税額として差し引き計算をし、その上でさらに予定納税額を控除して、それをもって脱税額とするのも、予定納税額を二重に控除することになり不合理である。

ところで、所得税法一二〇条一項三号・七号・八号、二項、一二八条、一三九条の規定に照らし、確定申告書の提出義務者については、予定納税額中年税額に繰り入れ清算されて、納税されたものとなる金額は、確定申告がなされ、納付すべき年税額があることが確定した場合で、しかも確定申告書に記載された申告所得税額(「差引所得税額」欄記載の金額。なお、源泉徴収税額がある場合には申告所得税額から、さらにその源泉徴収税額を控除した金額、すなわち「申告納税額」欄記載の金額。)を限度とするのであって、その余は還付すべきものとされており、確定申告及び申告所得税額と無関係に、法定納期限経過時に自動的に予定納税から年税額に繰り入れ清算されて納税したものとみなされる法律上の根拠規定はないから(確定申告書を提出する義務がない者に対して課する所得税の額の特例については同法一〇三条が、税務当局からする還付金の国税への充当については国税通則法五七条がそれぞれ規定している。)、正規の税額を算出する過程で計上される納税されたものとして控除される予定納税額は、実際に予納されている予定納税額で、かつ、確定申告書に記載された申告所得税額を上限とする金額であり、他方・申告納税額を算出する過程で計上される納税されたものとして控除される予定納税額は、確定申告書に記載された予定納税額で、かつ、同申告書に記載された申告所得税額を上限とする金額ということになる。そして、右にみたように予定納税額は納税したものとして年税額から控除されるものであって、確定申告にこれを計上することは納税義務者にとって利益なことであるから、確定申告に当たり、予定納税額をことさらに秘匿したり実際に予納した額より過少な額を計上するといったことは一般的にはないと考えられる。また、予定納税額を過大に計上して脱税することは不可能ではないが、予定納税は、当該年度の損益とは関係なく、前年分の納税額を基準としてその三分の一ずつを第一期と第二期に納入することが法律上義務付けられているものである上、予定納税基準額及び予定納税額については、税務署長が計算してこれを納税義務者に通知することになっており(同法一〇六条)、納税義務者はこの通知内容に従って納税するのを通例とし、税務当局側に予定納税額及び予納の有無が把握されているので、納税義務者が実際に予納した予定納税額より過大な額をあえて確定申告書に計上するといった行動には出にくく、一般には確定申告書に実際に予納した予定納税額が計上され、この場合には、正規の税額を算出する過程でも申告税額を算出する過程でも同額の予定納税額が計上されることになるから、正規の税額から申告税額を差し引いて脱税額を算出するに当たり、右両税額の算出過程で予定納税額を控除した場合としなかった場合とで脱税額に差異は出てこないのであって、本件対象年度の昭和五三年度、昭和五四年度の確定申告書においても、いずれも実際に予納された予定納税額が計上されているから、右と同様の結果に帰一する。

以上、原判決は、予定納税額については控除しないで脱税額を算出しているけれども、その結果、被告人の本件脱税額を誤って多額に算定したことにはならず、認定した脱税額に誤りはないことに帰着するから、原判決に事実誤認はなく、かつ、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用解釈の誤りがある場合には当たらない。論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意第四点(量刑不当の主張)について

所論は、要するに、被告人に対する原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、記録を調査して検討すると、本件は、被告人が経理面を担当する妻A子と共謀し、昭和五三年、五四年の両年度につき、合計約四八七〇万円を逋脱した事案であり、脱税額の大きさ、逋脱税率が昭和五三年度約四三パーセント、昭和五四年度約四五パーセントの高率であること、被告人は本件犯行において主導的立場で積極的に裏金作りを指示して来たこと、犯行の手口も露見しにくい妊娠中絶手術収入等の窓口収入を除外して仮名等の預金にしていたものであること、被告人は開業以来毎年継続的に脱税していたもので、本件はその一端に過ぎない上、原審以来自己の刑責を否認し、妻A子等他人に責任を転嫁する主張を繰り返すなど反省の情を認め難く、再犯のおそれなしとはし難いものがあることなどを総合すると、被告人に前科・前歴がないこと、産婦人科医として地域の医療に貢献していること、本件公訴提起前に対象年度の所得税の修正申告を済ませ、修正に係る所得税額を全部納付済みであることなど所論が指摘する被告人に有利な情状を十分考慮してみても、被告人を懲役一年(執行猶予三年)及び罰金一三〇〇万円(脱税額の約二六パーセント)、換刑処分一日五万円に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 朝岡智幸 新田誠志 裁判長裁判官簑原茂廣は転補のため署名押印することができない。裁判官 朝岡智幸)

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